一般社団法人 グローカル政策研究所

町田徹 21世紀のエピグラム

1㌦=160円の円安で、
「利上げ前倒し圧力」が浮上したワケ

 「昭和の日」(4月29日)に外為市場で、円がおよそ34年ぶりの安値である1ドル=160円24銭を付けたことなどを受けて、マスメディアやエコノミストを中心に、日銀に対して利上げの前倒しを求める声が噴出し始めている。
 大方の論調は、政府日銀がこの日と5月1日に踏み切った為替介入には限りがあるので、日銀が利上げを前倒しすべきだというものだ。
 しかし、そもそも、日銀は米国ほど政策金利を引き上げることはできず、利上げが「伝家の宝刀」になるとは考えにくい。
では、いったいなぜ、マスメディアやエコノミストは、中途半端な通貨防衛策を尤もらしく語り始めたのだろうか。

 マスメディアやエコノミストの時ならぬ利上げ前倒し要求の前提になっているのは、為替介入の効果への疑問だ。
 「昭和の日」と5月1日に行われた為替介入は、推定で5000億円強と約3000億円の資金を投入し、それぞれ1㌦=160円近辺から同155円前後へ、同157円近辺から154円に円ドル相場を円高方向に押し戻す効果があったとされている。
 しかし、経験則から「円買い介入は時間稼ぎに過ぎない」とか、外国為替特別会計の外貨準備の2割前後を介入に費やせるとの過程から「介入できる回数はせいぜい、あと8回ぐらい」といったことを根拠にして、為替介入で1㌦=160円近辺の防衛線を守ることは難しいと決めつけている。
 そのうえで、昨今の急激な円安の主因は日米間の金利格差にあるのだから、「今後、日銀に対して利上げの前倒しを求める圧力が強まる見通しだ」というのである。

 こうした論調に対して突っ込みどころはいくつかあるだろうが、ここでは、日銀の利上げ余地はかなり小さく、前倒し利上げを繰り返したとしても、現状の日米間の政策金利がそれほど縮まる状況にない点を指摘しておきたい。
 まず、現在の政策金利は、日本が0~0.1%程度、米国が5.25~5.5%だ。こうした中で、日銀については、今年後半以降、小刻みな利上げを2、3回繰り返して、0.5~0.75%程度の到達点に向けて政策金利を引き上げていくというが、これまでの大方のコンセンサスだろう。潜在成長率が0.5~1.5%程度の日本ではこれが上限とされるのである。
 その一方で、今夏にも始まると見られていた米国の利下げは、根強い物価高に阻まれており、来年以降にズレ込みかねない状況だ。
 こうしたことから、例え、日銀が利上げを前倒ししても、日米間の金利格差は容易には解消しないと見られるのである。

 むしろ、本気で円安が生じ易い環境にメスを入れたいのならば、今後10年でマイナス成長に陥っても不思議はないといった見方も珍しくない、日本の潜在成長率の低さを改善することが必要だ。
 そのためには、生成AIなどを積極的に導入して生産性を向上させたり、高齢者や女性、外国人がもっと働き易い労働慣行を構築して人手不足を解消させたり、内外のグリーントランスフォーメーション関連などの新しい成長市場を取り込む施策が求められている。

 そうした抜本策の必要性を論じるのではなく、マスメディアやエコノミストはなぜ、この局面で、効果が薄いことが分かり切っている利上げの前倒しを日銀に求めているのだろうか。

 その謎を解くヒントは、今回の大型連休中の急激な円安の引き金になった、ある人物のある発言にあるのではないだろうか。
 それは、4月26日の金融政策決定会合後の記者会見で、植田日銀総裁が発した、「今のところ基調的な物価上昇率への大きな影響はない」という言葉である。
 この発言が円安の容認と受け止められたことが投機筋を勢い付かせたことは想像に難くない。
 本来ならば、“総裁個人の失言事件”としてクローズアップしてもおかしくない局面だろう。
 今回は、円相場への配慮を欠く総裁発言への苛立ちから、総裁個人に釘を刺すこともさることながらが高まり、組織としての日銀に対しても、経済を混乱させかねないような急激な円安は容認できないという線で、政府と足並みを揃えさせたいとの思惑が働いている、と見るべきなのかもしれない。

2024年5月7日

COLUMN

町田徹 21世紀のエピグラム 一覧